By zmawamz
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2018.7.13(Fri) 〜 7.22(Sun) at PULP Osaka
2018年3月の個展“SAPIENCE IN TOKYO IN 2018″(ANAGRA)に続いての今年2回目の個展、”MAKE YOU SEE WHAT I SEE”(pulp)を開催します。
3つの新シリーズ作品で構成される本展は、MAの作品に欠かすことのできない軸となる手法、”コラージュ”によって展開されます。紙を切りはりするいわゆるコラージュだけではなく、様々なメディアから発せられ浮遊しているあらゆる言葉や文章を作為的に切り取りし、貼り付ける(=描く)という行いから、ペンキによって描かれるドリップレターもMAは”コラージュ”と定義づけています。
レターの描かれた鉄板を叩き、焼き、削り、踏みつけ製作される『The Craps』シリーズ、描かれたレターを激しく崩すことで描かれる『UNTITLED』シリーズ、いずれも一般的な製作や創造とは真逆の破壊的行為により作品が生み出されています。そして日常に表出した破壊的行為である建築物の解体・建築現場の”目撃者”として撮影・コラージュをすることで創られる『World』シリーズ。
作品にまとわりつく破壊的行為。それはこの文明社会のシステムで自動機械のように振る舞い従う人々への疑念と違和の表明、つまりは抵抗であり、それらの”コラージュ”は、暴力的かつ乱雑にあなたへと「俺の見ているものを見せてやる」という扇動的なメッセージを送信をしてきます。
MA is holding his second solo exhibition of the year titled “Make You See What I See”, following “Sapience in Tokyo in 2018” in March at Anagra.
The exhibition is composed of three new series of works and explores the method “collage” which is indispensable to MA’s works.
Not just paper collages but MA intentionally cuts and pastes words or sentences generated from different ideas floating around and draws the drip letters with paint, all of which he defines as “collages”.
Both “The Craps” series, which involve hitting, burning, cutting and stamping iron slates with the letters, and “Untitled” series, which are drawn by aggressively tearing apart the letters, create works by destruction, which is the polar opposite concept of conventional creation or production process.
The “Word” series are made of photo collages and present MA as a “witness” who sees destruction and deconstruction of buildings that are a destructive act surfaced in everyday life.
Destructive acts attached to the works – It is a statement of discomfort and suspicion towards people who behave as automatic machines in the system of the civilized society, in other words, it is an act of resistance and the collages send the confrontational message “I make you see what I see” to you violently and randomly.
[Translated by Naoko Umetsu]
「人間を攻撃する人間」を攻撃する人間の芸術
「動くな」連続した現象を区分けすること、「死ね」恣意的に切り取ったものに必然性のない名前を与えてそこに対象の全てを捨象すること、「甦れ」そうして蒐集した死体=語彙を配置して真理を捏造すること。そのような真理の構成要素として、「WAR」や「PANOPTIOCON」という語彙はある。これらは人間の恣意的な操作の結果作られた概念でありながら、実質的に私たちの生活を規定する効力となって君臨している。「偽普遍」である所のこうした対象たちを攻撃することができるのが、アートの一つの本性的な機能ではないだろうか。最も単純な攻撃として、そうした文字列を鉄くずの上に拘禁し、バットで打ってやればいいのではないか。ホラーのドリップフォントは当然、流血を表している。流血を表象するには、過大な量のスプレーやペンキを立てた面に配置するだけで良い。重力という条件が血を垂らす行為体だ。戦争WARや一望監視施設PANOPTICONなどの抑制ー抑圧機構は、まずもって人間の生産物として物的存在であり、インパクトとして私たちの判断の条件ともなる抽象的存在である。人類による人類への攻撃、つまり人類の敵だ。これを追い払うのに、シカトを決め込むのは汚言や悪魔のフィギュアなどを悪的だとして問答無用で採用しない穏やかなアーティストだが、MAはその反対物である。
「日常生活において見慣れたものを異化・相対化する」系アートの常套手段は、相対化の対象の「もの」を、普段の使用における配置とは異なる場所・文脈に登録して、観衆の中に違和感や居心地の悪さを喚起する。しかしそれがホワイトウォールに囲われた展示室内にあって、それなりに秩序だったデザインにおいて統御されているため、人は、「未知の美的感覚」に触れたと感じる。「これはアートです」と言う文脈の中に、洗濯物を放り投げ、本来あるべき場所にない食器やコンビニ弁当などをアートとして登録すれば、宮廷絵画にルーツを持つ高尚な「お芸術」といった先入観を異化することもできる。彼らはポスト政治のシニカルな主体として、「日常を転覆する」などとは言わない。気難しい顔をした批評家どもがこれは面白いとか呟きながら普段は食いもしないコンビニ弁当の残骸を見て美を見出していると言う「ねじれ」を作り出し、乾いた笑いを共有したいのではないか。アートという恣意的な文節の内部での小犯罪だ。そのようにして相対化された衣類や食物への視線が、私たちの抱える悪魔を追い払う原因として振舞 うことがあるだろうか?
人間に可能な攻撃はまず物理的に、ついで象徴的に実践することができる。そこでは具体から抽象への飛び越えが要請される。「どこであってもいい、人類への人類による攻撃というのは……」ではダメで、MA的東京が普遍のコマである個別具体的要素なのだ。なぜ東京なのか、必然性がここにはあるのか? それは作品を見て検討してくれ。かつて資本主義の産物でありなおかつ資本主義を内破する階級として、プロレタリアートは特権的だった。東京は地政学的にこの位置を占める、特権的な具体物だ。プロレタリアートの手つきで、鉄くずに敵の名前を記して、物理的に損壊する。それを「誰もが意図を汲もうと心がける特権的な場」であるホワイトウォール空間において、「どう? どんな感じ?」 と尋ねる。うまくいけば、この物的暴力が、象徴化して、諸概念への攻撃に転化する。相変わらずWARは解読できる程度のアイデンティティーを保つが、判読不能なまでに陵辱してやることもここから可能になるだろう。この試みの中に少しでも、アイロニーとシニシズムがあるだろうか? フモール(ユーモア)は、規則に従うことで規則を攻撃する技術であり、MAは「楽しめ!」という現代の命法に従いながら、「運動性の停止、殺害、蘇生」という象徴のための公式手順に則りながら、イデオロギーを攻撃する。ポリコレを遵守するヒューマニズムの反対物がユーモアではないだろうか。
MAは「文字を視る」という。文字列は本性的にコラージュだ。つまり既存の個物の配列。そして抑鬱状態の人間には、すべてが同一物の反復にしか見えない。だから私たちの、既存の道具で思考するしかないという条件を壊すには、造語をするのでは全く意味がなく、既存の対象の反復には常に差異が存在するということを示すしかないのだ。「俺はあるシステムの中で不可欠なコマだ」という文字のプライドを砕くためには、お前たちが異性の身体を舐めるように視るときに発揮する、お得意の能力を用いて文字を視てやろう。当然ながら、ペンキの乾かないうちに、文字の構成線を「より美しい線」に変形したくなるのが立派な変態というものだ。差異を導入するという変態行為。視姦は誰もが日々行う 性行為だが、手を出したらアウト。でもWARやPANOPTICONには少しも女性的なところがない。うまくやれば逮捕されないよ。「楽しめ!」というメッセージで俺を狂わせたのはお前だろ? と呟きながら、異常な混淆mixtureを実行しよう。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、セックスをしていた可能性があるらしい。そんな感じだ。
那倉悦生(ENDON)
MA [em-ei]
1985年 日本生まれ 東京在住 2012年2月24日の自身の誕生日に初個展“BORN IN JAPAN”[F*** you, I won?t do what you tell me ]を活動の声明とし開催して以来、国内外で活動をする。近年は一貫したテーマ「東京」「資本主義」「人間」を元に作品を描きながらも、いわゆる“ジャンル”や“様式”に囚われることなく、表現の幅を拡張しつつ、深度を下げている。
MA was born in 1985 in Japan and lives in Tokyo.Since his first solo exhibition opened on 24 Feb 2012, “BORN IN JAPAN” with the statement “F*** you, I won’t do what you tell me”, he has worked both in Japan and abroad. Recently, he has been painting with a focus on the consistent themes, “Tokyo”, “capitalism” and “humanity”, never restrained by so-called “genre” or “style”, he expands the scope of expressions and deepens it.
2018.7.13(Fri) 〜 7.22(Sun)
開館時間 平日 : 15:00-21:00 土・日・祝日 : 13:00-20:00 ※水曜閉館
Gallery hours Weekday : 15:00-21:00 Holiday : 13:00-20:00? ※closed on Wednesday
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